
まさか自分がうつ病になるなんて、思ってた人間なんて一人もいませんよね?
人生何が起こるか予想もできません。うつ病になるキッカケも、上司や同僚のパワハラだったり、些細なキッカケだったり人それぞれ。
私のように、それまで順風満帆だったサラリーマン生活が、社内のパワーバランスが崩れたことにより崩壊することも珍しくありません。
目次
有名企業からヘッドハンティングされ公私ともに充実
はじめまして。50歳になるサラリーマンです。とある日用品メーカーで営業職をしております。
仕事でかなり悩んでしまい、うつ病になってた時の話を聞いてください。
46歳の頃、ある企業からヘッドハンティングされて転職。年収も100万円近くアップし、さらに管理職として権限のあるポジションで迎え入れてくれる条件で、喜んで転職しました。
その会社は新規事業に参入することで新しく事業部を作ったばかりでした。ですから、
全員が転職組。
古参も新人もなく、みんな同期で同志という雰囲気で初めのうちは楽しく仕事をしていました。
新規事業参入ではありますが、私はその業界経験者であり、持っているノウハウと人脈をすべてが使えたので、しんどかったのですが、自分で事業を構築していくやりがいがありました。
労働時間は増えましたが、給料も上がったので深夜まで残業しても苦にはなりません。
また営業職でも管理職でも残業手当がつくこともあって、みんなで遅くまで会議をしたり作業をしたりと、充実した仕事ができました。
また少人数の事業部でもあり、それぞれプロらしい仕事をしてくれたので事業構築は順調に進んでいきました。
社内のパワーバランスが崩れ全否定される日々が始まる
そんな中である事件が起こりました。
事業部長が突然解雇になったのです。私は営業部の責任者ということもあり、営業戦略から営業予算、ありとあらゆることを事業部長と密に話し合っていました。
事業部長から「解雇になった」と聞かされた時には、さすがに目の前が真っ暗になりました。
しかし、この解雇は単なるイントロにすぎませんでした。
事業部長が解雇になった理由は、マーケティング担当課長の密告。
事業部長はプライベートで少し問題を抱えており、それがきっかけで身辺調査をされてクビになったのです。事業部長がいなくなったことで、全ての営業責任が直接私の責任になり、ここから地獄が始まりました。
私がうつ病になったきっかけは2つあり、ひとつは事業部長が営業戦略上、致命的な嘘をついており、その責任を私が取らされることになったこと。
社長と役員が全員揃った全社会議の中でその「嘘」が発覚し、その責任の一端は私にあると糾弾されました。
私は誤解を解こうと説明しましたが、「もう商品生産を止めた方がいいんじゃないか」「本格的に稼働する前に事業を中止するべきではないか」などかなり大事に話が展開。
私はその場に立ち尽くして震えてしまいました。目の前が真っ暗になる経験をしたのは、産まれて初めてのことでした。
もうひとつは、事業部長を追い出したマーケティング担当課長が事業部長代行になったことでした。
事業部長代行になったとたん、私が作成した営業戦略をことごとく否定し始め、私にだけ無茶なスケジューリングや仕事を押し付け、毎日私に罵声を浴びせはじめたのです。
典型的な個人攻撃のパワハラです。
初めのうちは女のヒステリーだと思って我慢していましたが、そのうち仕事中に「ビクっ」と震えが来るようになり、まともにごはんが食べられなくなってしまいました。その当時3ヶ月ほどで、体重が6kg落ちました。
世の中全てがモノクロに見えなにもする気が起きない
あまりに震えが頻発するのと、食事が喉を通らないので、私は心配になり診療内科で見てもらうことにしました。
結果は、想像通り「うつ病」と診断されました。
時を同じくして私は降格処分になり、営業責任者の任を解かれました。
さらに営業から外され、事務的な仕事を担当することになりました。パワハラはあいかわらず続きましたが、仕事のプレッシャーが少し減ったことと、うつ病の投薬が効いたため、休職はせずにすみました。
ですが、この頃は世界がモノクロに見え、プライベートではなにもする気が起きませんでした。
とにかく食欲も物欲もなくなり、何にも興味がわかなくなるのです。
毎日、うつ病回復のためのサイトばかり見ていましたね。
うつ病の薬は眠気を伴うため、事務仕事をしている時には眠気との戦いでした。また、副作用として食欲が出るため、6kg落ちた体重は元に戻りました。
降格、減給、パワハラの三重苦のため、もうこの会社にはいたくないし、いられない考え、本格的に転職を考え始めたのは、うつ病になってからちょうど1年後のことです。
絶望の淵に立っておどおど歩いていたのですが、「転職すればいいんだ」と考えるようになれるまで、私は1年と言う長い時間がかかりました。
うつ病になった時は、とにかく何もする気が起きず、真っ暗な一本道を絶望に向かって歩いているような気になるも。
どんなアドバイスも耳に入って来ませんよね?
ですが、もし今うつ病で悩んでいる方にアドバイスしたいのは、「選択肢は他にもある。その会社にしがみついている必要はない。」ということです。
なんとか転職できてモノクロの人生がフルカラーに戻る
心療内科ではうつ病と診断され、特にパニック障害等と他の症状は出ず、仕事もいけるほど軽い症状で済みませした。
重いうつの方には申し訳ないのですが、まだ良かった方だと思っています。
早めの投薬が良かったのかもしれませんね。しかし、減薬する時に若干離脱症状が出たのが苦しかったです。
転職はリクナビNEXTなどの一般転職サイトでかなり探しました。
実際面接まで行けた会社もあったのですが、年齢が50歳近かったことと、まだうつから完全に抜け出していなかったこともあり、順調というわけにはいきません。
結局心配してくれた知人が声をかけてくれて、知人の紹介である人材派遣会社に入社することができました。
業界は少し違うところになりましたが、営業職なので今までやってきた仕事と行動自体はほとんど変わらず、特に悩むこともありません。
転職できて一番良かったところは、
- 会社にパワハラをする人がいない
- 残業がほとんどない
- 心理的なプレッシャーのある仕事が少ない
です。
今は社会人になって一番ストレスなく、仕事ができていますね。ただ残念なことに、年収はほぼ半減になってしまいました。
まぁ、なんとか生活ができる程度ですが。
しかし、仕事のストレスがなく、プライベートな時間もとれ、うつ病になる要因のない生活ができる仕事に転職できて本当に良かったですね。
モノクロの人生が、フルカラーになった感じなんですよ。
月末などあまりにお金に困った時には、「多少しんどくても給料のいい会社がいいかなあ」なんて後悔することもありますが、もう2度とうつ病になるのはごめんです。
うつの方や、うつに近い心理状態で悩んでいる方には、「その会社が原因なら、壊れる前に転職を考えてみませんか?」とおすすめしたいですね。
壊れてからだと、いろんなことがうまくいかなくなります。
人生は一本道ではありません。絶望して他の選択肢が見えなくなる前に、別の道を探してみるてはいかがでしょうか?
サラリーマンだけが人生じゃありませんよ。
50代で職場ノイローゼになった管理職の話まとめ
最後に要点を纏めておきますので、参考にしてください。
[box05 title=”要点まとめ”]- 有名企業からヘッドハンティングされ公私ともに充実
- 社内のパワーバランスが崩れ全否定される日々が始まる
- 世の中全てがモノクロに見え何もする気が起きない
- 転職先は心理的なプレッシャーや威圧的な同僚がいない天国
- 何とか転職できてモノクロの世界がフルカラーに戻る
転職できて心理的なプレッシャーがなくなったのは、良いことですね。年収が半減してしまったようですが、彼の中では許容範囲内らしいです。
うつ病で辛い時は、誰かに話してみてはいかがでしょうか?
思わぬ友達の輪から、転職できちゃうこともあります。世の中あなたが考えているほど冷たくはありませんよ。